Pathfinder 演出覚書と衣装設定

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演出覚書

これはPathfinderの撮影前に出演者の林と遠藤に渡した演出覚書です。整形したり、きわどい部分を削除していますが、大体同じ内容です。

今見ると、こんなことを考えていたのか……と思う部分が少なくありません。それどころか、意味不明な部分も散見されます。要はその時々で適当なことを言って煙に巻いているだけ、ということがよくわかります。映画なんて完成してやっと何物かがおぼろげに見え、何年も経って見返す機会に幸運に恵まれたときまた別の姿を持って生まれてくる——そういうものだということにしましょう。

なお、最終的に撮影された脚本と違う脚本を土台に書かれている模様です。

実際の発注書

二人

気持ち

お二人とも舞台女優なので、まず演技から気持ちを抜くこと、「薄い」演技にすることを心掛けてほしいと思います。強く演技しなくても観客は演技をわかってくれます。

時間

それから、時間を使ってください。お二人に与えられた最大の武器は時間です。その台詞を、その動作を、どれだけ間隔をあけて、どんなスピードで言うか、行うかということが「映画」の本質たる「時間を作る行為」なのです。

間違っても「ダラダラ演技しろ」と言っているわけではありません。お客さんが飽きます。しかし、視線が交錯してからから唇が離れるまでに1秒しかないキスシーンは、戦争映画かパニック映画でもない限りあり得ません。

根拠

また、難しいところですが僕の映画では喜怒哀楽から大きく離れた内面の演技が重要な役割を果たします。むしろそれしかありません。「笑っている」ことが、「可笑しくて笑っている」のか「可愛らしさに笑っている」のか、その違いが重要なのです。

まりえさんには何度も言っていますが僕は演技に根拠を求めます。そして今回は2つの根拠を高いレベルで両立させることを求めます。

  1. キャラクタの思考という根拠
  2. 映画のテーマという根拠

例えば「おはよう」という挨拶について考えましょう。スパイに指示するテープの冒頭の「おはよう」、大統領が今からエイリアンに総攻撃をしかけるパイロットたちを激励する演説の前に発する「おはよう」、気になる女の子に好感を持ってもらおうとする「おはよう」、社交辞令としての「おはよう」、嫌いな相手に挨拶されたので仕方なく返す「おはよう」などなど、どんなキャラクタのどんな台詞にも思考に裏打ちされた「根拠」が存在するはずです。

ですから、まず1を考えて欲しいと思います。

そして、今回は「映画のテーマ」があります。この映画のテーマは「幸せをつかむためには自分から立ち位置を少し変えなければならない。そのことに気づく」ということです。台詞の根拠はこの映画のテーマにそったものではありません。

例えばこの映画に、朝の挨拶のシーンがあるのなら、繰り返し同じトーンの「おはよう」があって、最後には少し変わった「おはよう」がなければなりません。二人が動いた、ということを示さなければなりません。

加えて何よりも重要なのはこれがラジオドラマではなく映画作品だということです。

僕はわかりやすいように、台詞を例に演出について説明しましたが、お二人の領域に限っていえば、その一つ一つの動作が二つの根拠を高いレベルで両立させる必要があります。つまり、冒頭で小走りにやってくる柏葉が、果たしてどうやって終盤に「動いて立ち位置を変えるのか」という問題があるということです。

キャラ設定

あんまり得意じゃないのですが、まりえさんからリクエストがあったのでさっくり書いておきます。

柏葉とマキは学部生で、多分2年生ぐらいだと思います。

柏葉とマキとかっつんとせみちゃん、そしてその他諸々は高校時代の友人だったのでしょう。男女入り乱れて10人近い人数で何かをしていたものと思われます。部活だったと思います。その中心には悪魔のような男の才覚があり、かっつんとせみちゃん、がそれを支えて、他の皆が協力するというような具合でした。中心人物は今どこにいるんでしょうね状態です。

マキがかっつんについてどう思っつているとかは、まあいろいろあったんじゃないですかね。ただ、マキが自分から打って出たことは一度たりともなかったはずです。 せみちゃんの驚異的な能力については次回作で語られる予定ですが、天才です。少なくとも、柏葉とマキが自分たちに勝ち目がないと思えるほどの知性を持っています。

柏葉

キャラの心情

柏葉はマキを優しい視線で見守る存在で、「かっつん」にも「せみちゃん」にも「すごくなっちゃった親友」という感情しか抱いていません、と書きたいところですが、そんな単純なものではありません。

マキほどではないですが、やっぱりかっつんには憧れや恋心ともつかない感情を持っていますし、せみちゃんを友人として愛しているのと一緒にあらゆる意味で嫉妬の念も持っています。マキに対してだって単にお姉さんぶってるわけではなくて、その子供っぽさに対する憧れや嫉妬がありますし(マキは可愛い子なので、なんだかんだと皆からちやほやされているはずです)、もちろんトロさに対するいらだちもありますが、それをうまく押し殺しています(剥き出しにしないように)。

柏葉の「立ち位置を変えること」

簡単に言うと、柏葉の立ち位置は「マキを探す立場=マキを導く立場」から「マキを追う立場=マキに導かれる立場」に変化します。しかし、それは立場が逆転することを意味しているのではなく、そうなることによって柏葉はマキを見守る存在として幸せになることを意味しています。

子供が成長して自らの意思で走りだすことを喜び、それについていくことで幸せになる親のことを想像してください。その時、柏葉のマキに対するネガティブな感情は遠くに追いやられるのです。

そんなことをこめて演技をしてくれたら嬉しいです。

マキ

キャラの心情

マキはかっつんのことが好きです。しかし会った時から「せみちゃん」という強敵がいて、そういう意味ではもう絶対に勝ち目がないのがわかっていました。けれども、マキは「自分が可愛いことを知っているので」そういう存在としてかっつんに可愛がってもらえることを知っていて、可愛がってもらいました。せみちゃんにも、柏葉にも。またそういう魂胆はマキのなかでも本当に薄いので、かっつん以外の誰にも見えなかったのです。だから皆幸せでした。

しかし、今はもう違います。かっつんもせみちゃんもいないのです。けれども、マキはがんばってきました。しかし、やっぱりおもしろくない。おもしろくないなあ、というとき、この物語が始まったのです。

マキの「立ち位置を変えること」

台詞で説明していますし、わかりやすいですが。

始まった時からずっと、マキは止まっています。この映画のテーマに気づき、屋上に振り向くと、マキは動き出し、最後にオムライスを食べに階段をかけ降りて、踊り場でターンするとき、スカートの裾が広がって回転して、マキは完璧に立ち位置を変えるために動き出すのです。

マキの演技、感情の変化は動くことによって動かされる彼女のスカートの裾の移動量と同じようなものでなければなりません。そして恐らく、今の貴女の髪の長さなら、髪の動きも同じようになるでしょう。

それが「映画のために映画のすべてが全力を尽くす」ということです。

(↑「今思いついた」なんてことはないのですよ。ええ。始めっからそう考えていました。ええ。ほんとに……。嘘じゃないですよ!)

おわりに

ざっくり書きました。僕は説明が下手くそなのでなかなか分り辛いかもしれません。質問があったらいつでも僕にきいてください。僕が望んでいるのはお二人が演技に関する不安を抱えたままカメラが回らないことで、その不安を解消することが僕の仕事です。

けれども、僕はこの映画のすべてを知っているわけではありません。ですから、もし僕の言っていることがちがうと思ったら是非言ってみてください。きいていますし、その方が良いと思えば、そのようにします。

お二人と会話することで、まだ誰も知らないこの映画のほんとうの姿が浮かんでくることを心から祈っています。そうでなければ、他の誰かがいなくても僕が映画のすべてを知っているのなら、皆と映画を作る意味などどこにもないのですから。

衣装設定

これは衣装を最初期に設定した際の画像です。なんとまだ役者が揃っておらず、柏葉が男になることすら想定されていたことがうかがえます。

監督の致命的な水準の悪筆と画力には目を瞑りましょう。頭が小さすぎるのはあきらかです。このデッサン力が後に姑息な手段の開発に繋がったのだ——そう思うと感慨深いものがありますね。

衣装設定
衣装設定